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春:九十七 (1/2)

 差し押さえの光景ありさまを見るに忍びないような気がして、翌朝早く岸本は三輪の家を出た。その日は兄に面会したいと思って、た鍛冶橋まで出掛けた。くじは二十番に当たった。

 何のかんのと言っても、岸本の家の者は民助を大切にして、尊敬と同情とを寄せていた。この心は旧家の家長にむかって目下の者が持つ心であった。で、獄中の不自由を思いやるところから、差し入れ物は欠かさずする。弁護士も名高い人を選んで弁護士料若干いくら、無罪放免の暁には若干、こういう約束で、石町の旦那から一人、親類から一人、家から一人、都合三人に依頼してあった。民助の為とあれば、家の者はいかなる奉公をもいとわなかったのである。

 無事な兄の顔を見て、岸本は家の方へ引き返して行った。門内に敷き詰めてある砂利の上を踏んで、玄関前の葡萄棚ぶどうだなの下まで行くと、見慣れぬ下駄が四五足脱いである。未だ家の内は混雑ごたごたしている様子。玄関の次の間で、台所の方から出て来る姉に出逢った。姉は岸本の顔を見ると、ず着物の袖で額の汗を拭いた。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
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  3. 難読語で原文を損なうおそれが少ないと思われるものについては仮名に改める。
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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)