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春:八十九 (1/2)

 葬式は済んだ。芝公園の住居すまいは急に寂しくなった。花を携えて青木の墓参りに出掛けたり、夫の志を継いで宗教おしえに身を委ねようと考えたり、半分地の中へ埋められたかのように感じたりする頃の操は、最早未亡人である。

 野辺送りをしてから五日目に、未亡人は元数寄屋町へ来て、例の二階で青木の書いた反古ほごひろげて見た。すっかり後片付をして、初七日でも済んだら芝公園を引き払いたいと思っている。夫が着た着物、夫が若い時書いた物なぞは、操の身に取って堪え難いほど可懐なつかしかった。

 ふと手紙が出て来た。それは青木が二十か二十一の年に――まだまだ結婚しない前――操へ宛てて寄こしたものである。その中に、貴嬢とあるは、若い時の操のことである。「拝啓」と未亡人は読み始めた。「親愛なる貴嬢よ。せいは筆の虫なりと言われるまほしき一奇癖の少年なり。生は筆を弄ぶことを以て人間最上の快楽なりと思考せり。しかれども、時としてはこの快楽は言うに言われぬ不愉快を感ぜしむることもあり。そは他ならず、詩文を試みて意想を写すあたわざるの時、書簡をしたためて所見を述ぶることかなわぬ暁、精神鬱怏うつおうとして殆んど人事を忘るるに至るごとき、これなり。

「生は貴嬢の風采ふうさいを慕うこといと永かりし、しかして親友たるの時日はくの如くそれ短し。生は貴嬢の親友として世を送るを得ば他に何の求むる幸福あらんや、とかつて思考したりき。計らざりき、この得難き幸福を破って、遠く貴嬢に別るるの日に迫らんとは。嗚呼ああ天もまた無情なるか。今や貴嬢に別れて遠く去らんとするに際し、いささか貴嬢に懇願するところあり。そは、生の不幸を聞いてたも、という一事これなり。

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)