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春:八十八 (1/2)

 やがて会葬者一同は白金の瑞祥寺ずいしょうじに集まった。式が式だから、ただ本堂のわきにある大広間を借りて、そこで暫時しばらく休憩することにしてあった。その時青木の弟は親戚の者と一緒に出て、挨拶して廻った。一同は、茶を飲み、汗を拭き、という風で扇子の用意の無い人が多かった。そこでも、ここでも、白い帛子ハンケチが扇子がわりにつかわれた。

 墓地はこの寺の境内で、幽邃ゆうすいな、樹木の多いところにあった。混雑に紛れて、何時いつの間にか岸本は友達にはぐれてしまった。彼はと樹の間をくぐり抜けて、墓地の裏手にあたるところへ出た。そこにも人は集まっている。古い、大きな石碑はいくつとなく並んで立っている。その苔蒸こけむした墓の側に腰を掛けて、青木の死を考えているような人もある。岸本も同じように腰を掛けて眺めた。

 山のように盛り上げられた赤土の上には、次第に人が立った。手を引き合ってやって来た娘の群は、その辺へ集まろうとして、岸本の側を急いだ。岸本は今、後ろ向きに立つ若い人々を見ることが出来る。涼子は薄小豆色うすあずきいろ縮緬ちりめんの紋付き、その隣に立つ豊子は黒ずんだ色の黄八丈、勝子は薄い御納戸おなんどの小紋の紋付きを着て、女連中の中に交じわっている。そういう人々の間を通して、土足で立ち働く人足の姿が見られる。

「それ入れろ、縄が切れやしないか」

 こういう声が起こった。穴の中へ棺の滑り落ちる音がした。やがて人足の土を掻き落とす音がはげしく岸本の胸を打った。彼は青木の埋められるところを見るに堪えないような気がしたのである。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)