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春:八十六 (1/2)

 検死も済み、棺の用意も調い、いよいよ青木は十七日の午後に埋葬されることに成った。目に見えて始めて驚くはうき世の習慣ならわしである。その朝の新聞には、今更のように青木のことを書き立て、よく苦節を守った、という意味がうたってあった。こうと知ったら、何とか法の立てようにもあったろうに、と親類は来て嘆いた。せめて葬式だけでも立派に出してやりたい、と元数寄屋町の母は掻き口説いた。家には家の宗旨もあるが、操が別にしたいという願いをれて、親類一同協議の上、青木の葬式だけは耶蘇やその牧師を頼むことにした。

 生前縁故のあった人々は次第に芝の公園を指して集まって来た。岡見は大磯より、清乃助は日本橋より、足立と福富とは本郷より、菅、市川、それから岸本、連中はみんな集まった。千春も来た。栗田も来た。

 式は九時頃からうちなかで始まった。なにしろ狭いところへ種々いろいろな方面の人々が集まったので、そうそうは座りきれない。中には庭に立つもあり、青葉の下に集まるもあり、後れて来た会葬者なぞは谷間たにあい小径こみちのところに並んでいた。

浪風なみかぜの荒きうき世のなかにも
休らふ処はめぐみの宝座みざなり。
吾等がのがるるめぐみの宝座には、
罪も、かなしみも、消えてあとぞなき。
歓喜よろこび膏油あぶらうくべき処は
主の血にうるおふめぐみの宝座なり。
すみかへだつとも主を呼ぶみ民は
めぐみの宝座にて共にこすあらめ」

 讃美歌が起こった。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)