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春:六十九 (1/2)

 卒業も間近くなって来ているのに、勝子は学校の仕事が手に着かなかった。卒業に近づくということは、やがて結婚に近づくということであった。

 日暮れる頃、国に居る母親の許から、盛岡名物の豆金糖が届いた。その日は日曜で、めいの学校友達なども遊びに来ていて、奥の部屋まで種々いろいろな話が始まる。小包で来た菓子もそこへ開かれる。洋灯ランプ周囲まわりには楽しい無邪気な笑い声があふれた。きょうは学校の寄宿舎で誰とかさんの生きた葬式があった、と言って一人が笑えば、また他の娘が引き取って、誰とかさんはある先生から接吻キスを頂戴したそうだ、接吻というものは親子夫婦の間に限ると思ったが、先生から頂戴することもあると見える、などと言って笑い転げる。「ああもうそんな話は聞きたくない」こう勝子は思って、皆なの楽しい笑い声を聞き捨てて、独り自分の部屋に隠れた。

 部屋の前はすぐ庭であった。勝子は母親から送って貰った豆金糖を机の上に置いて、その草色した、シコシコした菓子を割って食べながら、物を書く為に紙をひろげた。勝子は未だ自分の心情こころもちが岸本にはよく知られていたいように思っている。で、日記ともつかず、手紙ともつかず、有りのままに書いて、折があったら届けたいと思っている。そんなもんが最早七八本書きめてある。中には、髪を洗ったというようなことまで記した日もある。その夜も思った通りを書いて見る積もりで、岸本が旅に出掛ける当時のことを胸に浮かべた。師と呼び弟子と呼ばれていた頃、何故岸本は自分に対してああツレナかったろう。あの当時、勝子はそう思っていた。だから紙にもその通り書いた。岸本が生徒に別離わかれを告げて、いよいよ学校を辞めて行くという時、まだ勝子は何時なんにも知らなかった。何気なしに二階の教場の窓から見ると、丁度岸本が車に乗って出るというところであった。思わず勝子は後ろ姿を見送った。何故あんなことをしたろう、今から考えて見ると不思議なようである。こう勝子は思いやった。紙にもその通り書いた。

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)