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春:六十八 (1/2)

 この門内には、樹木をへだてて住んでいる家が幾軒かある。突き当たりの大屋さんの屋敷を左に見て、すこし奥まった処にある二階建ての家は、勝子の父が姉の家族の為、また学校へ通う娘達の為に借りて住まわせたので、そこから学校までは弁当を持たずに行かれるほどの距離にある。

 離座敷はなれの方へ行く磯子と別れて、勝子は庭伝いに自分の部屋に上がろうとした。

「叔母さん」

 と呼ぶ声が庭の隅の方で起こった。

 浅々と芽を発生ふきだした芝の上には、勝子のことを叔母さんと呼ぶ娘達が遊んでいる。この娘達は、勝子をお勝叔母さんと言い、勝子の妹をおとよ叔母さんと言った。どうかすると、お勝叔母さんとそう幾齢としも違わないように見える人も居る。お豊叔母さんよりは年長としうえの人も居る。どうして、お豊叔母さんなぞはまだ前髪を額のところへ切り下げているほど若かったのある。

 勝子は部屋へ上がろうとして、妹の豊子から許婚いいなずけの人がちょっと来て直に帰ったということを聞いた。若々しい血潮は遽然にわかに勝子の頬に上った。

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)