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春:六十四 (1/2)

 隣の部屋に寝かして置いた鶴子が、その時、眼を覚ました。操は子供を抱いて来て、やがて菓子を持たせて遊ばせて置きながら、一寸階下ちょっとしたへ下りたが、間もなく引き返して来て見ると、鶴子は菓子をられて泣き出している。夫はそれをムシャムシャ食っている。

 操は腹が立つやら、可笑おかしいやらで、泣いているを抱いたり、すかしたりして、

「オオ好い児、好い児。もう泣くんじゃないの。真実ほんとにいけない父さんだよ、鶴ちゃんの御菓子を奪つて食べたりなんかして」

 鶴子はまだ泣きじゃくりをめない。

「父さん、め」

 操は鶴子に叱って見せた。

 青木は寂しそうに笑いながら、暫時吾児しばらくわがこの様子を眺めていたが、何を思付いたか急に真面目に成って、

「鶴ちゃん、堪忍しておくれ。親のつとめも尽くさないで済まないね」

 こんなことを言って、頑是ない子供の前に手を突いた。そのびる調子が平素ふだんとは違って聞こえたので、何故夫がそんなことを言い出したか、それは操によく解らなかったが、ただ何となく気の毒に成って来た。操は夫を見て言うに言われぬ哀憐あわれみ同情おもいやりとを感じた。新婚の当時、新しい洋服姿で、一緒に並んで写真をうつした夫の風姿すがたに思い比べて見ると、今は目も当てられぬ程の変わりかたである。昼夜の懊悩なやみと、不眠の苦痛くるしみと、底の知れない畏怖おそれとで、顔色なぞは最早別の人のようにあおざめている。

「こういうことに成ったのは俺の運命だ」と青木は男らしい眉を揚げた。「母親さんなぞに言わせると、吾儕われわれの結婚は三文の価値ねうちも無い。いや、母親さんばかりじゃない、世間の人が多くそう思うのは無理もないね。しかし、吾儕は世間の人に比べて見て、決して可恥はずかしい結婚をしたとは思わん。吾儕の家庭もそうだ、ただ吾儕の事業しごともそうだ――ただ、矢尽き刀折れたんだ。操、まあそうじゃないか」

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)