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春:六十三 (1/2)

 亡くなった友達が青木の夢に入ったというは、めずらしいことであった。節子とは一度師弟の縁もあり、親しく交際し始めてから二三年に成る。友達もすくなく、また強いて友達を作ろうともしない青木の寂しい生涯も、この人があって、はじめて一枝いつしの花を添えた趣があった。暴風のために奪い去られたような節子の死は、実際青木の身に取って可畏おそろしい打撃であった。多くの生の興味を打ち消されたのも、このまれな知己を失った愁いからである。

「父さん、仮寝うたたねして風邪をひくといけませんよ」

 こう言いながら、操が入って来た。

 青木はまだ半ば夢の心地でいる。日の光のす窓のところには、何となく鉄の格子でもめてあるような気がしている。膝を折って、壁にもたれて、歯をんで、それからこう重い頭を垂れ下げている彼は、何となく鋼鉄はがねの鎖にでも縛られているような気がしている。

 楽しい笑声が階下したの方で聞こえた。暫時しばらく操は耳を澄ました。こうして親子連れで来ているということすら、操に取って一通りの心づかいではなかった。おまけに、親類は親類で、口煩くちうるさ種々いろいろなことを言いたがる。「ああどうも駿しゅんさんのように弱る訳が無い」などと飛んだところで疑われて、言うに言われぬツラい思をすることが多かった。操はすこし痩せた。

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)