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春:六十 (1/2)

「まあ、お聞き」と青木の母親は言葉を続けた。「此節こないだ親類の方で何か言うかと思ったら、ああして打捨うっちゃって置いた日には今に駿さんもからだを壊しちまう、そうすこし細君も気を付けてくれそうなもんだなんて。あんなことを聞いた時は私もナサケないと思ったよ。何とか、お前、遣り方を変えて、成り立って行かれるような工夫はないものかね」

頭脳あたまの具合さえ好くなれば――」こう青木は答えて、やがて不思議そうに母親の顔を仰いだ。

「だからサ」と母親は心配して言った。「それを私が思ってやる。お前のように身体からだが弱くて、おまけに若い時から世帯を持とうなんて――それが一体無理なんだよ」

「そう母親おっかさんのように言ったッても困ります。今更どうすることも出来ないじゃ有りませんか」

「こうして見たらどうだね。操は当分実家さとの方に居て貰ってサ、お鶴は私の方で預かって可いから、お前はお前で一つやって御覧な。一緒に成っているに越したことは無いが、家があればそれだけ気を使うし、余計な心配もするし――」

「一緒に居ないたって、心配はしなけりゃ成りません」

「そう言ってみれば、まあ、そんなものだけれど」

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)