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春:五十四 (1/2)

 二階は、特別の客でも有る時に通すだけで、平素ふだんはあまり使用つかわないことにしてあったが、その片隅には叔父の前半生を語るような、法律に関する書籍ほんが置いてあった。それはまだこの日本橋へ引き移らないで、叔父が美しいひげを生やしていた頃、朝晩に手にしたものである。叔父の蔵書の中には、田辺の家に伝わった経書、子類、それから叔母の兄にあたる人がのこして置いたという写本の歌書なぞもあった。

 二階にはまた、岸本の本箱も置いてあった。その中には、彼が学校生活の時代に、寄宿舎の窓のところで読みふけって、今はそれほど興味を持たなくなったものや、卒業後しばらく横須賀の店を手伝っていた頃、帳場の机の下に隠して置いて読んだものや、それから叔父や兄には寝言のように思われそうな、新しい思想を書いた種々いろいろ書籍ほんが一緒にしまってあった。

 久しぶりで愛読書の顔を見る為に、ちょっと岸本はこの二階へ上がった。本箱の蓋を取って、塵埃ほこりにまみれた蔵書を眺めて、それからまた直に蓋をしてしまった。彼は当分こういうものを手にすまいと考えた。二度と同じ道を通るまいと考えた。もう一度世の中を見直そうと考えた。この思想かんがえを自分で自分に押し付けるようにして、やがて書生としての勤めをする為に、楼梯はしごだんを下りた。

 庭はかなり広かった。往時むかしからの習慣で、跣足はだし尻端折しりはしょりで、よく岸本はこの庭を掃いたものである。その日も、物置の方からほうき塵箕ごみとりとを持って来て、先ず茶の間の前にあるかえでの下から始めた。庭の隅には古いくすのきもあって、湿った土の上へ実がこぼれていた。梧桐あおぎりは始末に負えないやつだ。奇麗に根のところを掃いた時分に、大きなやつをガサリと落としてよこす。あおむいて見ると、下枝の葉は最早大抵落ち尽くしたが、こずえの方にはだ沢山の枯れ枯れになって残っていた。水の無い池に付いて、しいの樹のあるところへ出ると、そこから奥の部屋が見える、唐紙の開いたところから暗い土蔵の入り口までも見える。

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)