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春:五十 (1/2)

 その時、長火鉢にかざしている岸本の手が妙に民助の眼に着いた。不格好で、指先が短くて、青筋が太く刻んだようにあらわれたところは、どう見ても亡くなった父の手にソックリであった。父は足袋も図無しを穿いた程の骨格であったから、大きさは比較に成らないが、弟の手は父の若くしたというまでで、形ばかりでなく、蒼白あおじろい表情までも実によく似ていた。それを見ると、十七のとしから身代を任されて、親孝行と言われただけに苦労をしつづけた、その自分の過去が彼の胸に浮かんだ。民助の眼で見ると、維新の際には勤王の説を唱えたり、諸国を遍歴するやら、志士にまじわりを結ぶやらして、ほとんど家のことなぞを顧みなかった人の手がそれだ。どうかすると黙って家を出て了って、二月も三月も帰らないから、その度に峠のじいなぞを頼んで、連れて来て貰った人の手がそれだ。平素ふだんはまことに好い阿爺おやじで、家の者にも親切、故郷の人々にも親切で、一村の父のように慕われていたが、すこし癇癪かんしゃくが起こって気に入らないことが有ると、弓のおれで民助を打擲ちょうちゃくした人の手がそれだ。国学や神道しんとうに凝り過ぎたともいうが、深い山里にうずもれて、一生煩悶はんもんして、到頭気が変に成った人の手がそれだ。「阿爺おとっさん、子が親を縛るということは無いはずですが、御病気ですから堪忍して下さい」こう民助が言って、御辞儀をして、それから後手にくくし上げた人の手がそれだ。ありあまる程のおもいを抱きながら、これという事業しごとも残さず、しまいには座敷牢ろうの格子につかまって、悲壮な辞世の歌を読んだ人の手がそれだ。

「捨吉も年頃だ。そろそろ阿爺おやじが出て来たんじゃないか」

 こう民助は心を傷めた。何でも、父が二十はたち年齢としとかに、初めて病気がおこって、その時はなおるには癒ったが、それから中年に成って再発した。この事実を民助は思い浮かべた。そうして、二十の年齢というから、あるいは弟と同じ動機で、こんな風に想像して見た。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)