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春:四十五 (1/2)

 翌日あくるひは青木が東京へ出向く日取りである。岸本は、友だちが内輪の苦しいことを承知しているので、そう長く厄介に成ろうとは思わなかった。前途の方針を定めたい、そうして一日も早く友達の宿を発ちたい、こう彼は考えている。

「ねえ、操、しばらく岸本君を吾宿うちに置いて上げようじゃないか。どうだね、お前の方の都合は」

「ええ、う御座んすとも」

 青木夫婦は、岸本を前に置いて、こんな言葉を交換とりかわした。苦しい中にも、こう言ってくれるのは、実際岸本の身に取ってうれしかったのである。

「すこし僕に考えさせてくれたまえ」こう岸本が言う。

「まあ、ゆっくり考えるサ」

 と青木は慰撫いたわるような語気で言った。

 時間が来た。操は夫のために羽織はかまを取り出した。耳が鳴って困るとか、頸窩ぼんのくぼのところが痛むとか、よく青木がそれを訴えるので、操も夫の身体を気遣っている。と言って、今ここで主人公に休まれては、家の者がどうすることも出来ないような境涯にあった。操が近所の娘を教える位は、いくら骨折ったところで、知れたものである。いやでも応でも青木に働いてもらわなければ成らなかった。

 例の無造作に、青木は袴を着けながら、「何時いつ僕が西行的に出掛けてもいように、それだけは細君も承知していてくれるんです――」と岸本の方を見て言った。

 その時操は、「また西行さんが始まった」と言ったような付きをした。

「父さん、行ってらッしゃい」と操は子供を抱いて見せて、やがて出て行く夫を見送りながら、窓のところに立った。「貴方あなた数寄屋町すきやちょうの方へ御寄なさるんですか」こう呼び留めて聞く。元数寄屋町には青木の家がある。コヂンマリとした店を出して、筆墨なぞをあきなっている。その店は青木の母親おっかさんが一人で切り回している。

「さあ。東京へ行って見た模様だ」

 こう答えて、青木は国府津こうづの停車場を指して急いだ。

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)