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春:四十三 (1/2)

貴方あなた真実ほんとに、他事ひとごとじゃ有りませんよ」と操は窓から顔を出して、朝の散歩から帰って来た夫を迎えた。「岸本さんのようにでも成ったら、どうします」

「俺があんなヘマな真似をするもんかい」こう青木は窓の下に立って答えた。

 岸本はまだ寝ていた。青木は窓のところへ手を掛けて、庭から部屋の内部なかのぞいて見た。奥の方の暗い壁へよせて、臥床ねどこが敷いてあって、あおむきに枕している友達の坊主頭がすこし光って見える。まだ岸本は夜の明けたのも知らないらしい。

「へえ、よく寝ているね」と青木は微笑ほほえみながら言った。

「余程御疲れなすったんでしょうよ」と操も笑う。

「まあ、そうッとして、寝かして置くがい。なにしろ二日の間碌々ろくろく食わずに歩いた人だからね」

 鶴子の泣き声が聞こえたので、快活な、強健すこやかな細君の笑顔は、その時窓のところから消えた。

 青木が妻子を実家さとの方へ預けて、当分別々に暮らして見ようという計画は、お流れに成った。例の言い草ではないが、西行的に漂泊の生涯を送って見たいというのも、この夫婦別居の案も、結局同じところから出る苦悶の声で、それが操の身に取ってはあまり難有ありがたく聞こえなかった。何故なぜそう考えるのだろう、何故そう面白くないのだろう、何故このまま家庭を楽しむという気に成れないのだろう、こう操は思っている。彼女に言わせると、時節の来るまで貧乏すると思えば差し支ない話で、食えないと言うなら共働ともかせぎもしよう(現に、操は近所の娘を集めて、寺の本堂で裁縫や手習いなぞを教えている)。こう女らしい頭脳あたまから割り出して、何もそう夫のように苦しむことはなかろうと思っている。そこはそれ、夫婦の情だ。仮令暫時たといしばらくでも別れ話なぞが始まれば、余計に離れ難いようなところが出て来る。青木は、家庭に束縛されている自分をあざけり笑いながら、一層ひとしお深く妻を愛するように成ったのである。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)