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春:百三十一 (1/3)

「どっこいしょ」

 と岸本は身を起こして、先ず周囲まわりを眺め回した。

「捨さん、その位寝たら沢山だろう。最早御馳走が出来て待っていますぜ」

 こう幸平に笑われて、岸本はそこへ足を投げ出しながら、伸びをしたり、大きなあくびをしたり、やがて又ホッと溜め息をいた。

「叔父さん、お早う」と甥は笑いながら挨拶する。

「ああ、太一さん、おいででしたか」

 と岸本も笑って、顔を洗って来る為に井戸端の方へ行った。

 間もなく家の者は食事をする為に集まった。同じ夕飯でも明るい処で食べた方がウマかろうというので、その日は奥の方へ引っ越して、縁側に近いところへ膳を据えた。

「どうも胡座にやらないと食ったような気がしない」と言って、幸平は腕まくりで始める。姉は薯蕷汁とろろを掛ける役、母親は飯を盛って待っていて、それを各自めいめいわんの中へあけた。

「捨、今日はお前の送別会だに、たんと食べとくれや」と母が言った。

「太一さん、お塩梅はいかがですか」と姉も言葉を添える。

「どうして、岸本の祖母おばあさんの御料理ですのもの、悪かろうはずがありません」

「まあ、太一の御世辞の好いこと」と姉は笑って、岸本の方を見て、「捨さん弱いじゃないか、もうすこし御上がりな」

「そんなにいられても、駄目です」と岸本は御辞儀をした。「今日は七杯しか入らない」

「捨さん、七杯入ればあまり入らない方でも無いでしょう」と幸平は笑った。

「へえ、太一さん、おい」と母親は飯をあけて了ってから言った。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)