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春:百二十二 (1/2)

 日暮れに近い頃まで、岸本は屋外そとで暮らして、本郷の通りを猿飴さるあめの、横町の方へ曲がろうとした時は、最早何となくそこいらが黄昏たそがれて見えた。ふと途中で、岡見の兄の歩いて来るのに遭遇であった。

「岡見さん」

「オオ、岸本さん、しばらくでしたね」

何時いつ御出掛けでした」

「昨日ね、一寸ちょっと用事が有って大磯から出て来ましたよ」

 黄色く光る往来の瓦斯灯ガスとうの影で、二人はこんな言葉を交換した。今は以前のような調子ばかりでなく、幾分互いに尊敬し合うところも談話はなしの中に交じって来ている。それだけ他人行儀に近づいたとも言える。が、矢張り連中は連中だ。えば互いに可懐なつかしい。岸本は岡見の行く方へ一緒に歩いて、やがて今日こんにち艱難かんなんな境涯を話し初めた。しかもそれを言いにくそうに話した。而して、何か未だ言いたいことが有って、それを言わずにいるという風であった。岡見は薄々岸本の家の事情を聞いて知っている。自分が恋の成功に比べて、この若い友達の心情を思いやらんではない。亡くなった勝子は、自分がかつて愛した弟子でもあり、又、新しい妻の親友でもあったことを考えないでもない。結局岸本の話は金に落ちて行った。

 岡見は例の侠気おとこぎから、

「話は早い方が可い。幾何いくらばかり、君、有れば可いんですか」

 とこう言い出した。彼は直に自分のふところさぐった。

「十円位で間に合うことなら、今ここで御用立てしましょう」

 と気前を見せて、無造作の紙入れの中から取り出して渡した。岡見は友達を助けるということにって、自分の性質を満足させた。いや、そればかりではない、彼は恋の成功者として高い税を払わせられた形である。

「では、とにかく拝借します」

 こう岸本が言って、その金をたもとに入れて、それから岡見と別れた。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)