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春:十二 (1/2)

 八月の末、青木は東北の旅から帰った。「知己は多く得べからず、節子のごときはわが生涯にいて有数の友なりしを」こう青木は日記の中に書いて、細君の操にも見せた。彼が奥州おうしゅうの方へ行っているいる間に、親しい女友は病気して亡くなったとのことである。

 この愁に加えて、彼の身体からだ内部なかには何となく異状が起こって来た。過度な激昂げっこうと疲労とから、もう幾晩か眠られない。そこで、国府津こうず在の漁村に退いて、多病なからだを養おうということに思い付いた。ともかくも行って見て来たい、ついでに鎌倉へ寄って岸本に勧めたいことが有る。こう考えて青木は家を出た。道順として、彼は先ず鎌倉の寺に泊まっている友達を訪ねた。

 途次みちみち青木が想像して行った通り、果たして岸本は困っていた。早速青木は東北行の土産話を始めた。八戸はちのへに大きな造酒家がある。そこの若主人というはなかなか話せる男だ。蔵書も沢山ある。一つ行って見る気はないか。酒屋の居候いそうろうも面白かろう。こう岸本に勧めたのである。

 談話はなし好きな青木は、余計に後で疲れると知りつつ、つい夢中になって話し込んだ。彼は今、国府津の方へ行く途中であることを話した。二人の談話はなしはそれから菅のうわさに移って行った。岸本に言わせると、菅は足立と連れ立って、一度この寺へ訪ねて来たとのことである。それは菅が山を下りて間もなくであった。「色法師、居るか」などと、驚かして入って来たのは足立で、その時箱根の話が出たが、しかしあの場所と人とを菅に結び付けて考えることは、どうしても岸本に出来なかった。その後、菅から誠意まごころと涙のもった手紙を受け取って、はじめて岸本も心を動かされたとのことである。

「して見ると、いよいよ本物かネ」

 こう青木は例の調子で言ったが、心には菅のことをあわれに思った。

表記等について

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)