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春:百十八 (1/2)

 花瓶、皿、つぼ珈琲茶碗コーヒーぢゃわんなどの雑然ごちゃごちゃ置き並べてあるいえなかに、机を接して仕事をしている人々の多くは、顔の色蒼ざめた職工風の若い男でなければ、貧しい家から通って来る給金取の娘であった。この仕事場で盛んに製造する物は、大抵輸出向けの陶器せともので、形でも模様でも一定の型に依って幾百組となく作る。皿なら皿、珈琲茶碗なら珈琲茶碗に相応する大体の模様の輪郭りんかくが先ず素地しろへ焼き付けられる。娘は容易やさしそうな部分を塗る。男はその仕上げをする。監督する人は別にあって、多忙いそがしそうに机と机の間を歩いたり、手に持つ十露盤そろばんで陶器の数を勘定したりした。

 その日はいやに熱かった。唐紙や障子はことごとく取り払われていたが、狭苦しいほどに集まって仕事をする人々の気息いき、汗の香、それから庭の方で焼くかまどの火気のほとりとで、この仕事場の内は蒸されるようである。柱の周囲まわりに陣取っている女なぞは、もう恥も外聞も思っていられないという風でふとって腕を肩の辺までまくし上げるのもあれば、色のめた単衣物ひとえものたもとで額の膏汗あぶらあせを拭き取るのもある。

「どうです、ウマくいきますかナ」

 と園主は岸本の傍へ来て言って、不思議そうに彼の仕事をするところを佇立たたずみ眺めていた。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)