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春:十一 (1/4)

 長い廊下のところには女中が集まって話している。「ちょいと、お君さん」と年嵩としかさなのが言った。「あんなに廊下へ突っ立っているものじゃないよ」

「だって」とお君は受けて、「あの三階の方がね、彼方あっちへ行ったり是方こっちへ行ったりなさるから」

 三階には避暑の客があるらしい。岸本は暫時しばらくてすりに寄り掛かって悄然しょんぼりと眺め入っていたが、丁度そこへ足立と菅の二人が手拭いを提げてやって来る。庭の百日紅さるすべりも花盛りの頃で、この廊下を美しく見せた。

「好かないよ」とお玉さんが言い出す。

「だからさ、お前さん」と年嵩なのが引き取って、「そういう時には御免なさいッて言うものだよ」

年長としうえは年長だけある」とお玉は雑返まぜかえすように言って、何か暗号のように一寸ちょっと右の肘でお君を小衝こづいて見る。

「にくらしい」とお君は、若い女らしい声で言った。

 楽しい女中の笑い声、放肆ほしいままな湯場の空気、日にしおれた百日紅のにおいなぞは、若い三人の心を酔うばかりにさせた。「君、一ぱい入浴はいって来よう」こう言って誘ってくれる友達の後にいて、岸本も一緒に楼梯はしごだんを下りた。

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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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春

「若菜集」「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」などで知られる詩人・小説家の島崎藤村が1908年4月から8月まで東京朝日新聞に連載した新聞小説です。同年10月に「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されました。浪漫主義の雑誌『文学界』の同人たちをモデルに、明治時代中期を舞台にした青春小説です。キリスト教の洗礼を受け、恋愛や新しい芸術思想について語りあう楽しい仲間、辛い仕事と没落していく家という現実、その狭間に置かれて悩みながらも自立を図っていこうとする若者たちを、主人公の「岸本捨吉」を中心に描きます。モデルは、藤村自身が岸本捨吉、北村透谷が青木駿一、平田禿木が市川仙太、戸川秋骨が菅時三郎、馬場孤蝶が足立弓夫、星野天知と星野夕影兄弟が岡見兄弟。藤村の「若菜集」発表前夜の物語です。田山花袋の「生」と同時期に新聞連載が始まったこともあり、世間は、事実をありのままに描き真実に迫ろうとする二人の「自然主義作家」に注目しました。ITmedia 名作文庫では、(緑蔭叢書版を底本とした)「島崎藤村全集第5巻」(筑摩書房、1966年5月10日発行)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。常用外漢字と当て字にはルビを振り読みやすくしています。(近日刊行予定)