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上田秋成の晩年(5) (1/3)

 養家の父母の甘いをよいことにして、秋成はその青年期を遊蕩ゆうとうに暮らした。この点において普通の大阪の多少富裕な家の遊び好きのぼんちに異ならなかった。当時流行の気質かたぎ本を読み、狭斜のちまたにさすらい、すもう、芝居の見物に身を入れたはもとよりである。そこに俳諧の余技があり、気質本二篇を書いては居るが、これは古今を通じて多くの遊蕩児中には、ままある文学へきの遺物としてのこったに過ぎない。ところが、三十五歳、彼の遊蕩生活が終わりを告げるころ、彼は突如として雨月物語を書いた。この物語によって彼の和漢の文学に対する通暁さ加減は、尋常一様の文学青年の造詣ぞうけいではない。押しも押されもせぬ文豪のおもかげがある。遊蕩青年からすぐこの文豪の風格を備えた著書を生んだその間の系統の不明なのに、他の国文学者たちは一致して不思議がって居る。殊に彼自身、二十余歳まで眼に国語を知らず、郷党に笑われたなどと韜晦とうかいして人に語ったのが、他人の日記にもしるされてあるので、一層この間の彼の文学的内容生活は、他人の不思議さを増させた。彼はこの時までに俳諧では高井凡圭きけい、儒学は五井蘭州ごいらんしゅう、その他都賀庭鐘つがていしょう建部綾足たけべあやたり、というような学者で物語本の作者である人々についても、すこしは教えを受けたが、大たいはその造詣を自分で培った。それも強いて精励努力したというわけでは無い。幼年から数奇な運命は彼の本来の性質の真情を求めるこころを曲げゆがめ、神秘的な美欲や愛欲や智識欲の追躡ついじょうというような方面へ、彼の強鞣な精神力を追ひ込み、その推進力によって知らぬ間に、彼の和漢の学に対する蘊蓄うんちくは深められていた。彼の造詣の深さを証拠立てる事は彼が三十五歳雨月物語を成すすこし前、賀茂真淵かものまぶち直系の国学者で幕府旗本の士である加藤宇万伎うまきを執ったが、この師は彼の一生のうちで、一番敬崇を運び、この師の歿ぼっするまで十一年間彼は、この師に親しみを続けて来たほどである。この宇万伎は、彼が入門するとたちまち弟子よりもむしろ友人、あるひは客員の待遇をもって、彼に臨み、死ぬときは、彼を尋常一様の国学者でないとして学問上の後事をさえ彼にたくした。そして、この間に彼の名もそろそろ世間に聞こえ始めていた。しかし、それほどの師にすら、秋成の現実の対照に向かっては、いつも絶対の感情の流露を許さぬ習癖が、うそ寒い疑心をもち==師のいいし事にもしられぬ事どもあって、と結局は自力に帰り、独窓のもとでこそ却て研究は徹底すると独学孤陋ころうの徳を讃美して居る。

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鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。