» 公開

上田秋成の晩年(4) (1/2)

 さて、秋成自身ふり返って見るのに、自分の肉体には若いうちから老いがむしばんでいて、思い切った若さも燃えさからなかった。だが、わが身のうちに蝕んだこの若い頃からの老いが、その代わり自分のなかにある不思議な情緒を、この七十の齢まで包みかばい保たしているのかも知れない。うつし世のうつしごとの上では満足出来ず、さればとて死を越えては、いよいよ便りを得そうも無い欲情――わずかにそれを紙筆の上に夢にのみ描いて、そのあとを形にとどめて来た。それは現実の自分の上では、身体でつきとめようとすれば、こころにのがれ、こころで押さえようとすれば身体に籠もる。雨晴れて月朦朧おぼろの夜にちび筆の軸を伝ってのみ、そのじくじくした欲情のしたたりを紙にとどめ得た。『雨月』『春雨』の二草紙はいはばその欲情の血膿ちうみを拭ったあとの故紙こしだ。しかし肉漿にくしょうや膿血は拭い得てもその欲情のくるしみのしんは残っている。この老いにしてなお触るれば物を貪り恋うるこころのたちまち鎌首をもたげて来るのに驚かれた。そして、貪り恋うる目標物の縹眇ひょうびょうとして捕捉し難いのにも自分ながら驚かれた。

 それは正体が無くて、不思議なしわざだけする妖怪によく似ていた。れかかった朝霧の中にえだけ見せている色の無いにじのようにものぞかれた。

 老いを忘れる為に思い出にふけるとは卑怯ひきょうな振る舞いとして、秋成はかねがね自分をいましめていた。過ぐ世をも顧りみない、行く末も気にかけない。ただ有り合う世だけに当てめて、その場その場に身を生かすことを考えて来た――事実、恋うべき過去でも無い、信じられる未来とも思えなかった、業風の吹くままに遊び散らし、書き散らし、生き散らして来たと思える生涯が、なぜか今宵は警めなしに顧りみられる。そして、そろそろ、まんさんたる自分の生涯の中に一筋貫くものがあるのに気がつき出した。これを、今すこし仔細しさいに追及し、検討して見るとしても、あながち卑怯未練と自己嫌悪に陥るにもあたるまい――否、何かしらず、却って特別に自分に与えられた道の究明というようなけ高い、気持ちさえ感じられもして来るのだった。

 秋成は湯鑵の蓋をとって見た。煮くたらかされて疲れ果て、液体のまん中を背のように盛り上げて呻吟しんぎんしている湯を覗いて眉をしわめた。物思いにふけって居るうちに茶の湯が煮え過ぎて仕舞っていた。秋成は、立ち上がって覚束おぼつかない眼で斜めに足の踏み先を見定めながら簷下のきしたへ湯鑵の水を替へに行った。疝腫せんしゅで重い腰が、彼にびっこを引かせた。

 おきのたった火を、そのままにして彼は、湯鑵を再びその上へかけた。彼はもう茶を入れて飲む方の興味は失って居たが、水が湯になるあの過程の微妙な音のひびきは続けて置きたかった。突き詰めて行くこころを程よく牽制してなめらかに流して呉れる伴奏であるように思えた。彼は耳を傾けたが、風はもう吹きやんで、外はぴりぴりする寒さが、寺の堂も山門も林をも、腰から下だけ痺らせつつあるのを感じた==京は薄情な寒さじゃ。と彼はここでひと言、ひとりごとをいった。彼は元通りきちんと坐って、考えの緒口いとぐちに前の考えの糸尻いとじりを結びつけた。――愛しても得られず、憎んでも得られず、勝負によって得られず、ただ物事を突きつめて行く執念のねばりにだけ、その欲情はたされたのだった。だが、この世の中にそれほど打ち込んで行けるほどのものがあるだろうか。いくら執念のねばりを愛する欲情であるといって、むやみに物を追ひ、獅噛しがみついて行くわけには行かなかった。魅力というものが必要だった。そして魅力の強いものほど飽きが来た。飽きが来なければ、むこうが変わった。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
  2. 常用漢字表にない漢字、当て字、異字は初出時に振り仮名を付ける。
  3. 難読語で原文を損なうおそれが少ないと思われるものについては仮名に改める。
  4. 振り仮名はブラウザによって表示が異なる。ChromeとInternet Explorerでは文字の上に振り仮名が振られる「ルビ表示」となるが、Firefoxでは文字の後に()で表示される。文字を強調する傍点は、FirefoxとInternet Explorerでは太字で表示される。
  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

この作品が収録されている電子書籍を読む

鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。