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上田秋成の晩年(3) (1/3)

 青年時代の俳諧はいかい三昧ざんまい、それをもしこの年まで続けて居たとすれば、今日の淡々如きにこうまで威張らして置くものではない。淡々根が材木屋のむすこだけあって、商才を弟子集めの上に働かして、門下三千と称している。これがまず、いまいましい。四十の手習いで始めた国学もわれながら学問の性はいいのだが、とにかく闘争に気を取られ、まとまった研究をして置かなかったのが次に口惜しい。俺を、学問に私すると云った江戸の村田春海はるみ、古学を鼻にかける伊勢の本居宣長もとおりのりなが、いずれも敵として好敵ではなかった。筆論をしても負けそうになればいつでも向こうを向いて仕舞うぬらくらした気色の悪い敵であった。これに向かうにはつい嘲笑や皮肉が先に立つので世間からは、あらぬ心事を疑われもした。人間性の自然から、独創力から、純粋のかんから、物事の筋目を見つけて行こうとする自分のやり方がいかに旧套きゅうとうとらわれ、衒学げんがくにまなこがくらんでいる世間に容れられないかを、ことごとく悟った。

 和歌については、小沢蘆庵おざわろあんのことが胸に浮かんだ。一方では、堂上風の口たるい小細工歌が流行はやり、一方では古学派のわざとらしい万葉調の真似手の多いなかに、敢然かんぜん立って常情平述主義を唱へ「ただ言歌ことうた」の旗印を高く掲げた才一方の年上の老友がうらやまれた。自分に、若し、もう少し和歌の志があつく、愚直の性分があったら、あの流儀は自分がやりそうなことであった。その「ただ言歌」の心要として蘆庵のんだ、

言の葉は人の心の声なれば 思いを述ぶるほかなかりけり。

という歌などは「雨降るわ、傘持てけ」のたぐいで歌とも何とも云いようのないものだが、なぜかそれが、歌を詠もうとするときには、必ず先に念頭に浮かんで詠みはずもうとする言葉の出頭を抑へ、秋成をいまいましがらせた。

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鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。