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上田秋成の晩年(1) (1/2)

 文化三年の春、全く孤独になった七十三のおきな、上田秋成は京都南禅寺内の元の庵居あんきょの跡に間に合わせの小庵を作って、老残の身を投げ込んだ。

 孤独とっても、このくらい徹底した孤独はなかった。七年前三十八年連れ添った妻の瑚璉尼これんにと死に別れてから身内のものは一人も無かった。友だちや門弟もすこしはあったが、表では体裁のいいつきあいはするものの、心は許せなかった。それさえ近来は一人も来なくなった。いくらからかい半分にこの皮肉で頑固なおやじを味わいに来る連中でも、ほとんど盲目に近くなったおいぼれをいじるのは骨も折れ、またあまり殺生にも思えるからであろう。秋成自身も命数のあまるところを観念して、すっかり投げた気持ちになってしまった。

 文化五年死の前の年の執筆になる胆大小心録の中にこう書いている。

 もう何も出来ぬゆえ煎茶せんちゃんで死をきわめている事じゃ――

 小庵を作るときにも人間の住宅に対する最後の理想はあった。それはわずか八畳の家でよかった。その八畳のなかの四畳を起きしの場所にして、左右二畳ずつに生活の道具を置く。机は東側の牖下まどしたに持って行き、そばに炉を切り、まわりの置きもの棚に米醤油しょうゆなど一切飲み食いの品をまとめて置く。西の端の一畳分の上に梅花の紙帳を釣り下げ、その中に布団から、脱ぎ捨てた着物やらをほうり込んで置く。夏の暑さのために縁の外の葦竹あしだけ、冬の嵐気らんきを防ぐために壁の外に積む柴薪さいしん――人間が最少限の経費で営み得られる便利で実質的な快適生活を老年の秋成はこまごまと考えて居た。しかし、その程度の費用さえ彼は弁じ兼ねた。やむを得ず建てたところのものは、まったく話にもならぬほんの間に合わせの小屋に過ぎなかった。彼は投げた気持ちの中にも怒りを催さないでは居られなかった。――七十年も生きた末がこれか、と。しかし、すぐにその怒りをなだめててのひらの中にころばして見る、やぶれかぶれの風流気が彼の心の一隅から頭をもたげた。彼はわずかばかりの荷物のなかをまわして、よれた麻の垂簾すいれんを探し出した。垂簾にはうるおいのある字で『鶉居うずらい』と書いてあった。彼はその垂簾のしわをのばして、小屋の軒にかけた。

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歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。