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豆腐買い(3) (1/2)

 左側に板塀がある。雨風に洗い出された木目が蓮華を重ねたように並んでいる。誰か退職官吏の邸らしい。この辺がまだ畑地交じりであった時分やすい地代ですこし広く買い取って家を建てたのがいつか町中になってしまってうるさくはあるが地価はあがった。当惑と恭悦を一緒にしたような住居の様子だ。古い母屋の角に不承々々に建て増したらしい洋館の棟が見える。一人前になった息子のところへそろそろ客が来るようになったので体裁上必要になったものらしい。ポータブルがロンドンシーメンス会社で参観人へ広告にくれる小唄をきしり出している。「明るい燭光の電球をつけましょう。そして、顔を――」どうしてこんな盤が日本へ入って来ているのだろう。ここの息子はあの電気会社の取引会社へ勤めでもしているのか。

 松が古葉を黄色い茱萸ぐみの花の上へ落としている。門の入り口に請願巡査の小屋があってそれから道の両側にけやきの並木があり、その先は折れ曲がっているので玄関はどのくらい先にあるかわからない金持ちの邸の並木の欅五六本目のところでカーキ色の古ズボンを穿いた老人が乾かした椎茸しいたけを裏返している。こんな町中で椎茸が栽培出来るのか。

 金持ちの邸の玄関道が妙に曲がっているのでそのカーヴの線と表通りの直線とに挟まれて三日月形になった空地がある。信託会社の分譲地の柱が立っている。ふさがっているのは表通りの右端の二区切りだけで、あとは古障子やらわらやらいっぱい散らかったまま空いている。それらを踏んで子供が野球をやっている。空地をうかがうのは何国の子供も同じだ。ある夏ロンドンで珍しい暑い日があった。かぶと帽をかむった消防夫に並んで子供が頭から水管の水をかけて貰っていたのはやっぱりこういう建て壊しのあとの空地だった。犬のお産を子供等に見せないように天幕張りをしてしまって居たのもロンドンの空地だった。

 仲が好さそうにもあり、張り合ってるようにも見える二区切りの土地の上の洋館のけばけばしい安普請の一方には歯科医、一方にはダンス練習所の真鍮札がかかっている。お京さんはよく迷う女だ、こういう軒並みを見せたら歯をなおしてもらいに歯医者へ寄ってから練習所へ行こうかダンスの練習をすましてから歯医者にしようか。まじめになってわたしに相談するだろうと加奈子は思った。

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鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。