» 公開

豆腐買い(2) (1/4)

 焼き芋屋の隣に理髪店があるという平凡な軒並みも加奈子には珍しかった。その筋向こうに瓦斯ガス器具一切を売る安普請やすぶしんの西洋館がある。

 外国に行く四年前まではこの家は地震で曲がったままの古家で薪炭しんたんを商っていた。薪炭商から瓦斯の道具を売る店へ、文化進展の当然の過程だ。だが椅子へ不釣り合いにこどもを抱えて腰かけているおかみさんはもとのおかみさんに違いないが人相はすっかり変わっている。前にはただだぶだぶして食べたものが腸でこなれて行くのをみんな喇叭管らっぱかんへ吸収して卵子にしてしまう女の作業を何の不思議もなさそうに厚い脂肪で包んでいるおかみさんだった。いまはせてしまって心配そうな太い静脈が額に絡み合っている。亭主の不身持ちか、世帯の苦労か、産後からひき起こした不健康か。一番大きな原因に思えそうなのはもうすっかり命数だけの子供を生んでしまったので、自然から不用を申し渡されたからではあるまいか。

 そうなるといままで気がつかなかった不思議さが万物の上に映り出すとみえてあの見回すキョトキョトした眼付き――おかみさんにはどこか役離れがしてもまだ落ち着かない思い切りの悪い神経質の様子が見える。

 襟巻きを外しながら亭主が帰って来ておかみさんの膝の赤ん坊の赤い足を着物のすその中から探し出して握った。どういうわけだかちょっと赤ん坊の足の裏のにおいを嗅ぐ。人の好さそうな肉体の勝った亭主だ。この種の人間は物を握ったり重量をみたりすることによって愛情が感じられるらしい。加奈子は裸の赤ん坊の温気で重量器の磨き上げた真鍮しんちゅうの鎖が曇るストックホルムの優良児の奨励共進会を思い出した。わずかな重量を増やそうと量る前に腹いっぱい父親の命令で赤ん坊に乳を飲ましていた雀斑そばかすだらけの母親をも思い出した。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
  2. 常用漢字表にない漢字、当て字、異字は初出時に振り仮名を付ける。
  3. 難読語で原文を損なうおそれが少ないと思われるものについては仮名に改める。
  4. 振り仮名はブラウザによって表示が異なる。ChromeとInternet Explorerでは文字の上に振り仮名が振られる「ルビ表示」となるが、Firefoxでは文字の後に()で表示される。文字を強調する傍点は、FirefoxとInternet Explorerでは太字で表示される。
  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

この作品が収録されている電子書籍を読む

鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。