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荘子(1) (1/3)

 紀元前三世紀のころ、支那では史家が戦国時代と名づけている時代のある年の秋、の都の郊外櫟社れきしゃの付近に一人の壮年=荘子が、木の葉を敷いて休んでいた。

 彼はがっちりした体にだいぶ古くなったほうを着て、かばの皮の冠を無雑作にかぶっていた。

 顔は鉛色を帯びてつやが無く、切れの鋭いには思索に疲れたものにありがちなうるんだ瞳をしていた。だが、顔色に不似合いな赤い唇と、ちぢれて濃い髪の毛とは彼が感情家らしいことを現している。そうかと思えば強い高い鼻や岩のような額は意志的のもののようにも見える。全体からいっていろいろなものが錯綜さくそう相剋そうこくし合っている顔だ。

 荘子の腰を下ろしている黍畑きびばたけの縁の土坡どはの前は魏の都の大梁たいりょうから、韓の都の新鄭しんていを通り周の洛邑らくゆうに通ずる街道筋に当たっていた。日ざしも西に傾きかけたので、車馬、行人の足並みも忙しくなって来たが、土坡の縁や街道を越した向側の社のまわりにはまだ旅人の休んでいるものもあり、それに土地の里民も交じってがやがや話し声が聞こえていた。里民たちは旅人たちから諸国のニュースを聴かせてもらうのを楽しみによくここに集まって来た。彼等は世相に対する不安と興味とに思わず興奮の叫び声を挙げた。荘子はそういう雑沓ざっとうには頓着とんちゃくなく櫟社のそばからぬっと空に生えているくぬぎの大木を眺め入っていた。その櫟は普通に老樹と言われるものよりも抜きんでておおきく高く荒箒あらぼうきのような頭をぱさぱさと蒼空あおぞらに突き上げていた。別に鬱然とか雄偉とかいう感じもなくただ茫然ぼうぜんと棒立ちに立ち天地の間に幅をしている。こんな自然の姿があろうか。しかし荘子はこの樹の材質が使う段になると船材にもならず棺材にもならず人間からの持てあましものの樹であり、それゆえにまた人間の斧鉞ふえつの疫から免れて自分の性を保ち天命を全うしているのだという見方をして、この樹を賛嘆するのだった。彼はつぶやいた。

「この樹は人間にしたら達人の姿だ」

 そしてこの樹に対して現した感慨の根となるものが彼の頭の中に思考としてまとまりかけていた。=「道」というものは決して人の目に美々しく輝かしく見えるものでもなく、はっきりと線を引いてこれと指さし得るものでもない。自然の化育に従って、その性に従うものは従い、また瓦石がせきともなり蚊虻ぶんぼうともなって変化にまかせて行くべきものはまたその変化に安んじて委せる。これが本当の「道」であるべきだ。他の用いを望んで齷齪あくせく、白馬青雲を期することは本当の「道」を尋ねるものの道途をかえって妨げる=だが、この考えはまだ何となく彼の頭のなかにわりが悪いところもあった。人々は寸のものを尺に見せても世の中に出たがっている。彼もつい先頃までその競裡きょうりにあったのだ。この習性はそう急に抜け切れるものではない。彼はまたしても櫟の大木を見上げて息をついた。

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歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。