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ガルスワーシーの家(2) (1/3)

 送って玄関まで行ったガルスワーシー夫人が応接間へ帰って来た時、何となく取り散らかされたような室内の気配のなかに少し不興げな先客を置くのを恐縮しながら夫妻は裏庭のサンルームの方へあらためて二人を案内した。途中夫人の居間らしい褐色に塗られた北側の室と、カーテンを引いた白ペンキ塗りの枠を持つ今ひとつの部屋の窓からは内部の模様がわからなかったが食堂らしい南側の室との間の細長い廊下を引き切って、先頭に立ったガルスワーシーがそのいくらか前屈まえかがみの長身を横にそらすと景子達は庭の芝生の緑の強い反射にくらまされて眼をまたたきながらサンルームに出た。勧められた安楽椅子にちょっと手をかけた景子は急にこの庭の秋色が見たくなって窓際へ近寄って行った。

 中央の亭の柱にからんで、円錐えんすい形の萱葺かやぶき屋根の上へ這い上がっている蔓薔薇は夏から秋に移るとすぐに寒くなる英国の気候にめげてまばらに紅白の花を残していたが、その亭の周りのシンメトリカルに造られた四ツ弧形の花床には紅白黄紫の大輪菊がダリヤかと見えるようなはっきりした花弁をはねて鮮やかに咲きとどめている。景子は思わず嘆声を漏らした。

 ――日本の菊!」

 ――日本の菊じゃありませんよ。いくら花の形や色がそっくりでも、英国に咲いてるのはやはり英国の菊ですよ。香も日本の菊ほど無いし、葉にもむく毛が無い。全体に日本の菊のようにおっとりした品が無くっていたずらにパッと開いていますね」

 宮坂は景子のすぐそばへ来て今までの鬱屈を晴らすような明快な声で言い放った。空気と共に花の匂いをいっぱい胸に吸い込むような大きな息もした。その時いったん椅子に座ったガルスワーシーが二人の話題へはいりに立って来ようとするので二人はあわてて席へ戻った。やっと落ち着いて主客話し合おうとして見たが、応接間で印度の女達から受けたちぐはぐな気持ちがお互いの頭に、しこっていたのですぐにも打ち融けかねた。窓から入る気まぐれな風が灰皿や花瓶や英国製の純白の磁器を冷たくでて、そこらを二三度い回った。

 ガルスワーシーは立ち上がって窓を閉めリョウマチスらしい左の肘を右の手でみながらしっかりと座について最後にとっておきのお愛想をするのだと言わんばかりに自分の言葉に貴重さを響かしてこう言った。

 ――失礼ですが私共からあなた方を見ると皆育ち盛りのどものように見えますよ。あなたのお国の方には前にも五六人以上お会いして相当年配の方も居られたようですがしかし、やっぱり児どものようなところがあるのです。育ち盛りの.........。何でもきたがりなさるところなぞも」

 老文豪がこの言葉を言った時にちらりと皮肉な様子を口元に見せたがすぐその影は消えて再び親切に努める態度に立ち戻った。

 ――それに引きかえ私達の国の人間を御覧なさい。児どもでも老人のようには見えませんか、青いうちに皺の入った瘠地せきちあんずのように。分けて中産階級の児どもは。犬でも鶏でも、どうも私達の国のものは年寄り染みてるらしいのです。困りましたね」

 いつか新しく茶を運んで来てまた、夫の傍に座っていた夫人はこの時ちらりと夫の顔を見たその瞳にはそれほどまでの話をしなくともと夫をたしなめる様子に見えた。けれども老文豪は信ずるところあるものらしく逆に言葉を強めて言った。

 ――一番いけないことは私共英国人の趣味に消極を楽しむという傾向の入って来たことです。それも東洋人の持つような積極的に通ずる徹底した消極趣味というのではたく、五分縮められ、三分縮められて行くことに反抗しながらしかも押し流されて行く、そこに人生の味があるのだと思うようになってしまったことです。退嬰たいえいを悲しむうちはまだ脈があります。退嬰を詩に味わうようになったらおしまいです」

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鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。