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ドーヴィル物語(3) (1/2)

 太陽、大河口。かもめ――ドーヴィルから適当な距離のオンフルール海岸は、ドーヴィル賭博人の敗北の深傷ふかでや遊楽者達の激しい日夜の享楽から受ける炎症を癒やしに行く静涼な土地だ。

 レストラン、サン・シメオンの野天のテーブルで小海老を小田島にがさせながら、イベットは長いまつげを昼の光線に煙らせて、セーヌの河口を眺めている。彼女がこうしてじっとしている時は、物を眺めているのか、何か考えているのか小田島には判らない。だがまたこうしている時程この娘は美しく見える。イベットはもともと南欧ラテン民族の抜ける様な白い額から頬へかけうっすり素焼きの赭土あかつち色を帯びた下ぶくれの瓜実顔うりざねがおを持つ女なのだが彼女がこうした無心の態度に入る時には、何とも形容し難い「物」になってしまい、自然が与えた美しさだけが、外貌に残る。少し眼尻が下り、びているのか嘲っているのかうれえているのか判らない大きな眼、丸味を帯びて小さい権威をふるっている鼻、くびれた余りがほころびかけている唇。これらがその形のままで空虚になるのだ。そしてこの娘のこの虚脱には何という人を逃さぬ魅力があることだろう。

 ――あなた、突然の電報で驚いた?

 ――別に驚きもしないがね。だが一たい僕をこんな贅沢ぜいたくなところへ呼んで、どうしようって言うんだい。

 彼女は「物」からただの女になりふふんと小狡こずるく笑った。それから小海老を手握てづかみで食べて先が独活うどの芽のように円くしなう指先をナプキンで拭いた。

 まともに押しても決して彼女が素直な返事をしないことを小田島は知り切っていた。と言ってカマをかけてくようなえごいことはしたくない女だ。小田島は思い切って聞いた。

 ――君はこの土地へ、探偵に来たのだろう。

 ――ふふん、それがどうしたというの。

 イベットは少しぎょっとしたが、子供らしくとぼけ、胸を反らして小田島に逆らう様な格好をした――その時、太陽が直射した。そして額や頬に初秋の海風が一しきり流れると彼女は急に崩折れた。

 ――腕を借してよ、小田島。私にすがらしてよ、こんな商売、私、随分、寂しいのよ。

 イベットは両手で小田島の腕を握り、毛織物を通して感じられる日本人独特の筋肉が円く盛り上がった上膊じょうはにこめかみを宛てがった。そして何か強い精気あるものに溶け込みい思いで一ぱいになっているように彼女は静かに眼を半分閉じるのだった。かもめの落とす影が二つ彼女の長い睫を軽くまたたかせる。

 この料理店自慢の鳥に詰め物をした料理を給仕男が持って来たが、こういう卓上風景には馴れているので音を立てぬようにそっと行ってしまった。

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鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。