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ドーヴィル物語(2) (1/2)

 太陽が鮮やかに初秋の朝をきらめかし始めた。ドーヴィル市の屋根が並べた赤、緑、灰色のうろこを動かして来た。その中に突き立つ破風はふ造りの劇場、寺の尖塔(上べは綺麗きれいずくめで実は罪悪ばかりの素材で作り上げたこの市に寺のあるのが彼にはちょっとおかしかった。)果樹園に取り巻かれて、土の赤肌をポカンと開けているポロ競技場もかすかに見える。眼の前の建築群と建築群との狭い間から斜の光線にすくい上げられ花園のスカートを着けた賭博場の白い建物や、大西洋の水面の切り端の遠望が、小田島の向かうホテル五階の窓框まどわくの高さに止まる。プラタナスの並樹で縁取った海岸の散歩道には、もうありほどの大きさに朝の乗馬連が往き来している。その中に人を小馬鹿にした様にカプユルタンの王様が女と一緒に象に乗っているのが大粒に見える。

 疲れが深い眠りを引き、先刻ひと寝入りで寝足りた小田島は再びベッドに横になっても眠くはなかった。で、巴里パリから持って来た社交界雑誌ブウルヴァルジエをひろげた。彼は今までこの雑誌を見たこともなかったが巴里パリの社交界が移動して来た今日のドーヴィルは、この雑誌で研究するに限ると思ったので買って来た。ページを繰ると仏蘭西フランスの自動車王シトロエンが、この地へ大賭博に来ていること。フランス華族社会切っての伊達者だてものボニ侯爵がアメリカの金持ち寡婦の依頼で、この土地で欧州名門救済協会の組織を協議したこと等の記事が眼につく――だしぬけに部屋の扉が開いた。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
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  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

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鶴は病みき

歌人として有名だった岡本かの子の最初の小説集『鶴は病みき』(1936)の電子復刊です。表題作のほか、「渾沌未分」「敵(戯曲)」「豆腐買い」等、9編の短編を収録。信正社による初刊本を底本とし、伏せ字は実業之日本社版の「岡本かの子全集」を参照して補いました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくしています。昭和の評論家、十返肇による「岡本かの子論」も収録しました。