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狂言の神(2) (1/2)

 その夜、歌舞伎座から、遁走とんそうして、まる一年ぶりのひさごやでお酒をみビイルを呑みお酒を呑み、またビイルを呑み、二十個ほどの五十銭銀貨を湯水の如くに消費した。三年まえに、ここではっきりと約束しました。ぼくは、出世をいたしました。よい子だから、けさの新聞を持っておいで。ほら、ね。ぼくの写真が出ています。これはね、ぼくの小説本の広告ですよ。写真、べそかいてる? そうかなあ。微笑したところなんだがなあ。約束、わすれた? あ、ちょいと、ちょいと。これは、新聞さがして持って来て呉れたお礼ですよ。まったく気がるに、またも二、三円を乱費して、ふと姉を思い、荒っぽい嗚咽が、ぐしゃっと鼻にからんで来て、三十前後の新内しんない流しをつかまえ、かれにお酒をすすめたが、かれ、客の若さに油断して、ウイスキイがいいとぜいたく言った。おや、これは、しっけい、しっけい。若いお客は、気まえよく、あざむかれてやってウイスキイを一杯のませ、さらにそのうえ、何か食べたいものはないかと聞くのである。新内いよいよ気をゆるし、頬杖ほおづえついて、茶わんむしがいいなと応え、黒眼鏡の奥の眼が、ちろちろ薄笑いして、いまはすこぶる得意げであった。さて、新内さん。あなたというお人は、根からの芸人ではあるまい。なにかしら自信ありげの態度じゃないか。いずれは、ゆいしょ正しき煙管屋きせるやの若旦那。三代つづいた鰹節かつおぶし問屋の末っ子。ちがいますか? くだんの新内、薄化粧の小さな顔をにゅっと近よせ、あたりはばかるひそひそ声で、米屋、米屋、とささやいた。そこへ久保田万太郎があらわれた。その店の、十の電灯のうち七つ消されて、心細くなったころ、鼻赤き五十を越したくらいの商人が、まじめくさってはいって来て、女中みんなが、おや、兄さん、と一緒に叫んで腰を浮かせた。立ちあがって、ちょっとかれに近づき、失礼いたします。久保田先生ではございませんか。私は、ことし帝大の文科を卒業いたします者で、少しは原稿も売れてまいりましたが、未だほとんど無名でございます。これから、よろしく、教えて下さい。直立不動の姿勢でもってそうお願いしてしまったので、商人、いいえ人違いですと鼻のさきで軽く掌を振る機会を失い、よし、ここは一番、そのくぼたとやらの先生に化けてやろうと、悪事の腹を据えたようである。

 ――ははは。ま。掛けたまえ。

 ――はっ。

 ――のみながら。

 ――はっ。

 ――ひとつ。

 ――はっ。という具合に、兵士の如く肩をいからせ、すすめられた椅子に腰をおろして、このようなところで先生においするとは実もって意外である。先生は毎晩ここにおいでになるのでしょうか。私は、先夜、先生の千人風呂という作品を拝誦はいしょうさせていただきましたが、やはり興奮いたしまして、失礼ながらお手紙さしあげたはずでございますが。

 ――あれは君、はずかしいものだよ。

 ――しつれいいたしました。私の記憶ちがいでございました。千人風呂は葛西善蔵かさいぜんぞう氏の作品でございました。

 ――まったくもって。

 わけのわからぬ問答に問答をかさねて、そのうちに、久保田氏は、精神とかジャンルとか現象とかのこむずかしい言葉を言い出し、若い作家の読書力減退についてのお説教がはじまり、これは、まさしく久保田万太郎なのかもしれないなどと思ったら酔いも一時にさめはて、どうにも、つまらなくなって来て、蹌踉そうろうと立ちあがり、先生、それではごめん下さい。これから旅に出るのです。ええ、このお金がなくなってしまうところまで、と言いつつ内ポケットから二三枚の十円紙幣をのぞかせて、見せてやって、外へ出た。

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虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ

『晩年』(砂子屋書房、1936年6月)に続き、1937年6月1日、新潮社から刊行された前衛的な第二著作集です。師匠の佐藤春夫に命名された「虚構の彷徨」は「道化の華」「狂言の神」「虚構の春」で構成される三部作。「虚構の春」では友人・知人からの手紙をコラージュし、「ダス・ゲマイネ」では「太宰治とかいうわかい作家」を登場させるなど、前衛的な創作手法に挑戦しています。ITmedia 名作文庫では新潮社版を底本に、巻頭に解説「俗っぽさに賭ける痛切な青春」(北条一浩)を収録しました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍です。