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苦悩の年鑑(3) (1/2)

 満洲事変が起こった。爆弾三勇士。私はその美談に少しも感心しなかった。

 私はたびたび留置場にいれられ、取り調べの刑事が、私のおとなしすぎる態度にあきれて、「おめえみたいなブルジョアの坊ちゃんに革命なんて出来るものか。本当の革命は、おれたちがやるんだ。」と言った。

 その言葉には妙な現実感があった。

 のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を兇暴きょうぼうに遂行した人の中に、あのひとも混じっていたような気がしてならぬ。

 同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。

 中国を相手の戦争は継続している。

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 私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。

 私の最も憎悪したものは、偽善であった。

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 キリスト。私はそのひとの苦悩だけを思った。

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 関東地方一帯に珍しい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起こった。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。

 実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持ちであった。

 プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。

 狂人の発作に近かった。

 組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。

 このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終わりまでただよっていた。

 東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似ている。

 その二・二六事件の反面に於いて、日本では、同じ頃に、オサダ事件というものがあった。オサダは眼帯をして変装した。更衣の季節で、オサダは逃げながらあわせをセルに着換えた。

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 どうなるのだ。私はそれまで既に、四度も自殺未遂を行っていた。そうしてやはり、三日に一度は死ぬ事を考えた。

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 中国との戦争はいつまでも長びく。たいていの人は、この戦争は無意味だと考えるようになった。転換。敵は米英という事になった。

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冬の花火

戦後、掌を返したような世の中の風潮に憤った太宰治はその怒りを戯曲の形で作品化しました。1946年「展望」6月号に発表された「冬の花火」と同年9月号の「人間」に発表された「春の枯葉」です。ITmedia 名作文庫では『冬の花火』(中央公論社、1947年7月5日発行)を底本に、この2作と「苦悩の年鑑」、「未帰還の友に」、「チャンス」、5つの掌編をまとめた「津軽通信」、そして巻頭に解説「戦後日本へのぬぐいがたい違和感」(北条一浩)を収録しました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ人名ともに現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍です。