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春の枯葉(3) (1/4)

第三場

舞台は、月下の海浜。砂浜に漁船が三そうあげられている。そのあたりに、一むらがりの枯れたあしが立っている。
背景は、青森湾。

舞台とまる。

一陣の風が吹いて、漁船のあたりからおびただしく春の枯葉舞い立つ。

いつのまにやら、前場の姿のままの野中教師、音も無く花道より登場。
すこし離れて、その影の如く、妻節子、うなだれてつき従う。

(野中)(舞台中央まで来て、疲れ果てたる者の如く、かたわらの漁師に倒れるように寄りかかり)ああ、頭が痛い。こりゃ、ひどい。

節子、無言で野中に寄り添い、あたりを見廻し、それから白い角封筒をそっと野中に差し出す。角封筒は月光を受けて、鋭く光る。

(野中)(力弱くそれを片手で払いのけるようにして)それは、お前から、菊代さんにやってくれ。

節子、そのままの形で、黙って野中の顔を見つめている。

(野中) いやなら、いい。(節子の手から封筒をひったくり、自身の上衣のポケットにねじ込み)僕から、返してやる。(急にまた、ぐたりとなって)しかし、お前は、強いなあ。......負けた、負けた。僕は、負けたよ。お前たちのこんな強さは、いったい、何から来ているのだろうなあ。男女同権どころじゃない。これじゃ、あべこべに男のほうからお助けを乞わなくちゃいけねえ。いったい、なんだい? お前たちのその強さの本質は、さ。封建、といったってはじまらねえ。保守、といってみたってばかげている。どだいそんな、歴史的なものじゃあえような気がする。有史以前から、お前たちには、そんな強さがあったんだ。そうしてまた、これから、この地球に人類の存在するかぎり、いや、動物の存続する限り、お前たちは、永久に強いんだ。

(節子)(落ちついて)あなたは、はずかしくないのですか?

(野中)(うめく)ううむ、ちぇっ、ちくしょう! (顔を挙げて)全人類を代表してお前に言う。お前は、悪魔だ!

(節子)(冷たく)なぜですか!

(野中) わからんのか? 人が死ぬほど恥ずかしがっているその現場に平気で乗り込んで来て、恥ずかしくありませんかと聞けるやつぁ悪魔だ。

(節子) あなたは、はずかしがっていません。

(野中) どうしてわかる? どうして、それがわかるんだ。

(節子)(無言)

(野中) イエス答えをなし給わず、か。お前のその、何も物を言わぬという武器は、強いねえ。あんまり、いじめないでくれよ。ああ、頭が痛い。

(節子) これから、どうなさるのですか?

(野中) 死ぬんだ。死にゃあいいんだろう? どうせ僕は、野中家のつらよごしなんだから、死んで申しわけを致しますですよ。(崩れるように、砂の上にあぐらを掻き)ああ、頭が痛い。切腹だ。切腹をして死んでしまうんだ。

(節子) ふざけている時ではございません。菊代さんを、あなたは、どうなさるおつもりです。

(野中) どうもこうも出来やしねえ。ああ、頭が痛い。(頭をかかえ込んで、砂の上に寝ころび)負けたんだよ、僕たちは。僕と菊代さんは、お前たちに反逆をたくらんだが、お前たちは意外に強くて、僕たちは惨敗を喫したんだ。押せども、引けども、お前たちは、びくともしねえ。

(節子) だって、あなたたちは、間違った事をしているのですもの。

(野中) 聖書にこれあり。ゆるさるる事の少なき者は、その愛する事もまた少し。この意味がわかるか。間違いをした事がないという自信を持っている奴に限って薄情だという事さ。罪多き者は、その愛深し。

(節子) 詭弁きべんですわ。それでは、人間は、努めてたくさんの悪い事をしたほうがいいのですか?

(野中) そこだ! 問題は。(笑う)何が、そこだ! だ。僕はいま罪人なんだ。人を教える資格なんか無いのに、どうも、永く教員なんかしていると、教壇意識がつきまとっていけねえ。いったい、この国民学校の教員というものの正体は何だ。だいいち、どだい、学問が無い。外国語を自由に読める先生が、この津軽地方には、ひとりもいない。外国語どころか、源氏物語だって読めやしない。なんにも知らねえ癖に、それでも、教壇に立って、自信ありげに何か教えていやがる。学問が無くても、人格が立派とでもいうんならまだしも、毎日の自分の食べものに追われて走り廻っている有様で、人格もクソもあるもんか。学童を愛する点に於いては、学童たちの父母ちちははに及びもつかぬし、子供の遊び相手、として見ても、幼稚園の保母にはるかに劣る。校舎の番人としては、小使いのほうが先生よりも、ずっと役に立つし、そもそもこの、先生という言葉には、全然何も意味が無い。むしろ、軽蔑感を含んでいる言葉だ。どうせからかうつもりなら、いっそもう、閣下とでも呼んでもらいたい。僕たちの社会的の地位たるや、ほとんどまるで乞食坊主と同じくらいのものなんだ。国民学校の先生になるという事はもう、世の中の廃残者、失敗者、落伍者らくごしゃ、変人、無能力者、そんなものでしか無い証拠だという事になっているんだ。僕たちは、乞食だ。先生という綽名あだなを付けられて、からかわれている乞食だ。おい、奥田先生だって、やっぱり同じ事なんだぜ。あきらめろ、あきらめろ。

(節子)(鋭く)なんですの? (かすかに笑い)へんな事をおっしゃいますわね。

(野中) 知ってるよ。お前のあこがれのひとは、誰だか。

(節子) まあ! そんな。よして下さい! 下劣ですわ。

(野中) なんでも無いじゃないか。人間は皆、あこがれのひとを二人や三人持っているものだ。で、どうなんだい? その後の進行状態は。

(節子) わたくしには、あなたのおっしゃる事が、ちっともわかりません。

(野中) よし、それじゃ、わかるように言ってやろう。お前は、きょう僕の帰る前に、奥田先生の部屋に行っていたね。

(節子)(はっきり)ええ、まいりました。奥田先生がおひとりで晩ごはんのお仕度をしていらっしゃるという事を母から聞いて、何かお手伝いでもしようかと思ってお部屋をのぞいてみました。

(野中) それは、ご親切な事だ。お前にもそれだけの愛情があるとは妙だ。いいことだ。美談だ。しかし、僕が外から声をかけたとたんに、お前はふっと姿をかき消したが、あれは、どういうご親切からなんだい?

(節子) いやだったからです。

(野中) へんだね。

(節子)(泣き声になり)いったい、なんとお答えしたらいいのです。

(野中) まあ、いいや。よそう。つまらん。どうせお前には、かないっこないんだ。ああ、あ。世は滔々とうとうとして民主革命の行われつつあり、同胞ひとしく祖国再建のため、新しいスタートラインに並んで立って勇んでいるのに、僕ひとりは、なんという事だ。相も変わらず酔いどれて、女房に焼きもちを焼いて、破廉恥はれんちの口争いをしたりして、まるで地獄だ。しかし、これもまた僕の現実。ああ、眠い。このまま眠って、永遠に眼が覚めなかったら、僕もたすかるのだがなあ。(眠った様子)

(節子)(野中の肩に手をかけて)もし、もし。(肩をゆすぶる)

(野中)(なかば、うわごとの如く)殺せ! うるさい! あっちへ行け!

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冬の花火

戦後、掌を返したような世の中の風潮に憤った太宰治はその怒りを戯曲の形で作品化しました。1946年「展望」6月号に発表された「冬の花火」と同年9月号の「人間」に発表された「春の枯葉」です。ITmedia 名作文庫では『冬の花火』(中央公論社、1947年7月5日発行)を底本に、この2作と「苦悩の年鑑」、「未帰還の友に」、「チャンス」、5つの掌編をまとめた「津軽通信」、そして巻頭に解説「戦後日本へのぬぐいがたい違和感」(北条一浩)を収録しました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ人名ともに現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍です。