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冬の花火(3) (1/4)

第三幕

舞台は、伝兵衛宅の奥の間。正面は堂々たる床の間だが、屏風びょうぶが立てられているので、なかば以上かくされている。屏風はひどく古い鼠色ねずみいろになった銀屏風。しかし、破れてはいない。上手かみては障子。その障子の外は、廊下の気持ち。廊下のガラス戸から朝日がさし込み、障子をあかるくしている。下手しもては襖。
幕あくと、部屋の中央にあさの病床。あさは、障子のほうを頭にして仰向けに寝ている。かなりの衰弱。眠っている。枕元には薬瓶、薬袋、吸いみ、その他。病床の手前にはきり火鉢ひばちが二つ。両方の火鉢にそれぞれ鉄瓶がかけられ、湯気が立っている。数枝、障子に向かった小机の前に坐って、何か手紙らしいものを書いている。

第二幕より、十日ほど経過。

数枝、万年筆を置いて、机に頬杖ほおづえをつき障子をぼんやり眺め、やがて声を立てずに泣く。
間。
あさ、眠りながら苦しげにうめく。呻きが、つづく。

(数枝)(あさのほうを見て、机上の書きかけの手紙を畳んでふところにいれ、それから、立ってあさのほうへ行き、あさをゆり起こし)お母さん、お母さん。

(あさ) ああ、(と眼ざめて深い溜め息をつく)ああ、お前かい。

(数枝) どこか、お苦しい?

(あさ) いいえ、(溜め息)何だかいやな、おそろしい夢を見て、......(語調をかえて)睦子は?

(数枝) けさ早く、おじいちゃんに連れられて弘前へまいりました。

(あさ) 弘前へ? 何しに?

(数枝) あら、ご存じ無かったの? きのう来ていただいたお医者さんは、弘前の鳴海なるみ内科の院長さんよ。それでね、お父さんがきょう、鳴海先生のとこへお薬をもらいに行ったの。

(あさ) 睦子がいないと、淋しい。

(数枝) 静かでかえっていいじゃないの。でも、子供ってずいぶん現金なものねえ。おばあちゃんが御病気になったら、もうちっともおばあちゃんの傍には寄りつかず、こんどはやたらにおじいちゃんにばかり甘えて、へばりついているのだもの。

(あさ) そうじゃないよ。それはね、おじいちゃんが一生懸命に睦子のご機嫌をとったから、そうなったのさ。おじいちゃんにして見れば、ここは何としても睦子を傍に引き寄せていたいところだろうからね。

(数枝) あら、どうして? (火鉢に炭をついだり、鉄瓶に水をさしたり、あさの掛蒲団かけぶとんを直してやったり、いろいろしながら気軽い口調で話し相手になってやっている)

(あさ) だって、あたしがいなくなった後でも、睦子がおじいちゃんになついて居れば、お前だって、東京へ帰りにくくなるだろうからねえ。

(数枝)(笑って)まあ、へんな事を言うわ。よしましょう、ばからしい。林檎りんごでもむきましょうか。お医者さんはね、何でも食べさえすれば、よくなるとおっしゃっていたわよ。

(あさ)(かすかに首を振り)食べたくない。なんにもいただきたくない。きのう来たお医者さんは、あたしの病気を、なんと言っていたの?

(数枝)(すこし躊躇ちゅうちょして、それから、はっきりと)胆嚢炎たんのうえん、かも知れないって。この病気は、お母さんのように何を食べてもすぐ吐くのでからだが衰弱してしまって、それで危険な事があるけれども、でも、いまに食べものがおなかにおさまるようになったら、一週間くらいでよくなると言っていました。

(あさ)(薄笑いして)そうだといいがねえ。あたしは、もうだめなような気がするよ。その他にも何か病気があるんだろう? 手足がまるで動かない。

(数枝) そりゃお医者に見せたら、達者な人でも、いろんな事を言われるんだもの、それをいちいち気にしていたら、きりが無いわ。

(あさ) なんと言ったのだい。

(数枝) いいえ、何でも無いのよ。ただね、軽い脳溢血のういっけつの気味があるようだとか、それから、脈がどうだとか、こうだとか、何だかいろいろ言っていたけど忘れちゃったわ。(おどけた口調で)要するにね、食べたいものを何でも、たくさん召し上がったらなおるのよ。数枝という女博士の診断なら、そうだわ。

(あさ)(厳粛に)数枝、あたしはもう、なおりたくない。こうしてお前に看病してもらいながら早く死にたい。あたしには、それが一ばん仕合わせなのです。

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冬の花火

戦後、掌を返したような世の中の風潮に憤った太宰治はその怒りを戯曲の形で作品化しました。1946年「展望」6月号に発表された「冬の花火」と同年9月号の「人間」に発表された「春の枯葉」です。ITmedia 名作文庫では『冬の花火』(中央公論社、1947年7月5日発行)を底本に、この2作と「苦悩の年鑑」、「未帰還の友に」、「チャンス」、5つの掌編をまとめた「津軽通信」、そして巻頭に解説「戦後日本へのぬぐいがたい違和感」(北条一浩)を収録しました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ人名ともに現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍です。