» 公開

冬の花火(2) (1/4)

第二幕

幕あくと、舞台はまっくら。ぱちと電灯がつく。二階の数枝の居間。数枝がいまその部屋の電灯をつけたのである。部屋には寝床が二つ。一つには、睦子が眠っている。数枝は寝巻き姿で立っていて、片手で、たったいま電灯のスイッチをひねったという形。片手を挙げてスイッチをつかんだまま、一点を凝視している。その一点とは、下手しもての雨戸である。雨戸が静かにあく。雪が吹き込む。つづいて二重まわしを着た男が、うしろむきになってはいって来る。

(数枝)(ひくく、けれども鋭く)どなた? どなたです。

(男)(雨戸をしめ、二重廻しを脱ぎ、はじめてこちら向きになって、その場にきちんと坐る。村の人、金谷清蔵である)私です。かんにんして下さい。(まじめに、ちょっと頭をさげる)

(数枝)(おどろき)まあ、清蔵さん。どうなさったのです。(素早く寝巻きの上に、羽織をひっかけ、羽織ひもを結びながら、部屋の炉のところに行き、坐って)どろぼうかと思ったわ。いったい、どうしたの?

(清蔵) すみません。もういちど、私の気持ちを、ゆっくり聞いていただきたいと思って、お宅の前をずいぶん永い間うろついて、とうとう決心して、屋根へあがって、この二階のお部屋の雨戸に手をかけましたら、するするとあきましたので、それで、......。

(数枝)(苦笑し)とんだ鼠小僧ね。(火箸ひばし埋火うずみびき集めながら)でも、田舎では、こんな事は珍しくないんでしょう? 田舎の、普通の、恋愛形式になっているのね、きっと。夜這よばいとかいう事なんじゃないの?

(清蔵) とんでもない、そんな、私は、決して、そんな、失礼な。

(数枝)(笑って)いいえ、そうでなかったら、かえって失礼みたいなものだわ。屋根へあがって、二階のこの部屋へ、しかもこんな夜更けに人を訪問するなんて、正気の沙汰じゃないわよ。

(清蔵)(いよいよ苦しげに)お願いです、からかわないで下さい。私が悪いのです。夜這いなどと言われるのは、実に心外ですが、しかし、致しかたがありません。私には、これより他に、手段が無かったのです。(顔を挙げて)数枝さん! もうこれ以上、私を苦しめるのは、やめて下さい。イエスですか、ノオですか。それを、それだけを、今夜はっきり答えて下さい。

(数枝)(顔をしかめて)あら、あなたは、お酒を飲んでいるのね。

(清蔵) 飲みました。(沈鬱に)もう、この数日間、私は酒ばかり飲んでいます。数枝さん、これも皆あなたが悪いのです。あなたさえ帰って来なかったら、ああ、つまらん、こんな事を言ったって仕様がない。数枝さん、あなたは覚えていますか、忘れたでしょうね、あなたが、女学校を卒業して東京の学校へいらっしゃる時、あの頃はちょうど雪溶けの季節で路がひどく悪くて、私があなたの行李こうりを背負って、あなたのお母さんと三人、浪岡の駅まで歩いて行きました。路傍みちばたにはもうふきとうなどが芽を出していました。あなたは歩きながら、山辺も野辺も春のかすみ、小川はささやき、桃のつぼみゆるむ、という唱歌をうたって。

(数枝) ゆるむじゃないわよ。桃の莟うるむ。潤むだったわ。

(清蔵) そうでしたか。やっぱり、あの頃の事を覚えていらっしゃるのですね。それから、私たちは浪岡の駅に着いて、まだ時間がかなりあったので、私たちは駅の待合室のベンチに腰かけてお弁当をひらきました。その時、あなたのお弁当のおかずは卵焼きと金平牛蒡きんぴらごぼうで、私の持って来たお弁当のおかずは、筋子の粕漬けと、玉葱たまねぎの煮たのでした。あなたは、私の粕漬けの筋子を食べたいと言って、私に卵焼きと金平牛蒡をよこして、そうして私の筋子と玉葱の煮たのを、あなたが食べてしまいました。私もあなたの卵焼きと金平牛蒡を食べて、なんだかもうこれで、私たち二人の血がかよい合ったような気が致しました。いまここで別れても、決して別れきりになる事はないんだ、必ずまた私のところへ来て、きっと、夫婦、......ええ、そう思いましたのです。私はあの頃二十三、四になっていたでしょうか。この村では、とにかく中等学校を出ているのは、私ひとりで、あなたと一緒になれる資格のあるのは私だけだと、その前からぼんやり考えていた事でしたが、あのお弁当のおかずを取りかえて食べて、そうして、あなたのお母さんが、あなたに、清蔵さんのおかずは特別においしいようだね、と笑いながら言ったら、あなたは、だって清蔵さんはよその人じゃないんだもの、ねえ清蔵さん、と私のほうを見て妙に笑いました。覚えて、おいでですか。

(数枝)(火箸で灰を掻き撫でながら、無造作に)忘れちゃったわ。

(清蔵) そうですか。(溜め息をついて)何もかも私が馬鹿だったのです。私はあの時、あなたにそう言われて、あまり嬉しくて、涙が出て、ごはんも喉にとおらなかった程だったのです。これはきっと数枝さんも、東京の学校を卒業して帰って来たら、私と一緒になるつもりなのに違いない、そうして、あなたのお母さんも、だいたいその気で居られるのだとそう思い込んでしまったのです。

(数枝) そりゃ、お母さんは、そんな気でいらっしゃったのかも知れないわ。あなたの家と私の家とは昔から親しくしているんだし、それにあなたは、お母さんのお気にいりだったし、だからあたしも、あなたを他人のようには思っていなかったんだけど、......でも、......。

表記等について

  1. 読みやすさを優先し、原則として旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるほか常用漢字表の新字体を使用するが、原文に文語文がある場合はそのかぎりではない。
  2. 常用漢字表にない漢字、当て字、異字は初出時に振り仮名を付ける。
  3. 難読語で原文を損なうおそれが少ないと思われるものについては仮名に改める。
  4. 振り仮名はブラウザによって表示が異なる。ChromeとInternet Explorerでは文字の上に振り仮名が振られる「ルビ表示」となるが、Firefoxでは文字の後に()で表示される。文字を強調する傍点は、FirefoxとInternet Explorerでは太字で表示される。
  5. ITmedia 名作文庫は、散文作品(小説、随筆、評論、日記等)を主体とする。なるべく初刊本に近いものを底本に選び、全集等、先人たちの校訂を参照する。著者の死後50年を過ぎた作品群の中には、21世紀の今日の観点からみると、差別を始めとした不適切な表現ないしは同表現ととられかねない箇所が見受けられることがあるが、原文の歴史的価値を鑑みて底本どおりとする。

この作品が収録されている電子書籍を読む

冬の花火

戦後、掌を返したような世の中の風潮に憤った太宰治はその怒りを戯曲の形で作品化しました。1946年「展望」6月号に発表された「冬の花火」と同年9月号の「人間」に発表された「春の枯葉」です。ITmedia 名作文庫では『冬の花火』(中央公論社、1947年7月5日発行)を底本に、この2作と「苦悩の年鑑」、「未帰還の友に」、「チャンス」、5つの掌編をまとめた「津軽通信」、そして巻頭に解説「戦後日本へのぬぐいがたい違和感」(北条一浩)を収録しました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ人名ともに現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍です。