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チャンス(1) (1/4)

 人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法にびるわけではないが、少なくとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。

 しからば、恋愛とは何か。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。親子の間の愛情とか何とか、そんなものとはまるで違うものである。いま私の机の傍らの辞苑をひらいて見たら、「恋愛」を次のごとく定義していた。

「性的衝動に基づく男女間の愛情。すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛。」

 しかし、この定義はあいまいである。「愛する異性」とは、どんなものか。「愛する」という感情は、異性間にいて、「恋愛」以前にまた別個に存在しているものなのであろうか。異性間に於いて恋愛でもなく「愛する」というのは、どんな感情だろう。すき。いとし。ほれる。おもう。したう。こがれる。まよう。へんになる。之等これらは皆、恋愛の感情ではないか。これらの感情と全く違って、異性間に於いて「愛する」というまた特別の感情があるのであろうか。よくキザな女が「恋愛抜きの愛情で行きましょうよ。あなたは、あたしのお兄さまになってね」などと言う事があるけれど、あれがつまり、それであろうか。しかし、私の経験にれば、女があんな事を言う時には、たいてい男がふられているのだと解して間違い無いようである。「愛する」もクソもありやしない。お兄さまだなんてばからしい。誰がお前のお兄さまなんかになってやるものか。話がちがうよ。

 キリストの愛、などと言い出すのは大袈裟おおげさだが、あのひとの教える「隣人愛」ならばわかるのだが、恋愛でなく「異性を愛する」というのは、私にはどうも偽善のような気がしてならない。

 つぎにまた、あいまいな点は、「一体になろうとする特殊な性的愛」のその「性的愛」という言葉である。

 性が主なのか、愛が主なのか、卵が親か、鶏が親か、いつまでも循環するあいまい極まる概念である。性的愛、なんて言葉はこれは日本語ではないのではなかろうか。何か上品めかして言いつくろっている感じがする。

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戦後、掌を返したような世の中の風潮に憤った太宰治はその怒りを戯曲の形で作品化しました。1946年「展望」6月号に発表された「冬の花火」と同年9月号の「人間」に発表された「春の枯葉」です。ITmedia 名作文庫では『冬の花火』(中央公論社、1947年7月5日発行)を底本に、この2作と「苦悩の年鑑」、「未帰還の友に」、「チャンス」、5つの掌編をまとめた「津軽通信」、そして巻頭に解説「戦後日本へのぬぐいがたい違和感」(北条一浩)を収録しました。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ人名ともに現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍です。