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列車(2) (1/2)

 それから四五日して私は汐田から速達郵便を受け取った。その葉書には、友人たちの忠告もあり、お互いの将来のためにテツさんをくにへ返す、あすの二時半の汽車で帰るはずだ、という意味のことがらが簡単にしたためられていた。私は頼まれもせぬのに、テツさんを見送ってやろうと即座に覚悟をきめた。私にはそんな軽はずみなことをしがちな悲しい習性があったのである。

 あくる日は朝から雨が降っていた。

 私はしぶる妻をせきたてて、一緒に上野駅へ出掛けた。

 一〇三号のその列車は、つめたい雨の中で黒煙を吐きつつ発車の時刻を待っていた。私たちは列車の窓をひとつひとつたんねんに捜して歩いた。テツさんは機関車のすぐ隣の三等客車に席をとっていた。三四年まえに汐田の紹介でいちどったことがあるけれども、あれから見ると顔の色がたいへん白くなって、顎のあたりもふっくりとふとっているのであった。テツさんも私の顔を忘れずにいて呉れて、私が声をかけたら、すぐ列車の窓から半身乗り出して嬉しそうに挨拶をかえしたのである。私はテツさんに妻を引き合わせてやった。私がわざわざ妻を連れて来たのは妻もまたテツさんと同じように貧しい育ちの女であるから、テツさんを慰めるにしても、私などよりなにかきっと適切な態度や言葉をもってするにちがいないと独断したからであった。しかし、私はまんまと裏切られたのである。テツさんと妻は、お互いに貴婦人のようなお辞儀を無言で取り交わしただけであった。私は、まのわるい思いがして、なんの符号であろうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてあるスハフ 134273 という文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ。

 テツさんと妻は天候について二言三言話し合った。その対話がすんで了うと、みんなは愈々いよいよ手持ちぶさたになった。テツさんは、窓縁につつましく並べて置いた丸い十本の指を矢鱈やたらにかがめたり伸ばしたりしながら、ひとつ処をじっと見つめているのであった。私はそのような光景を見て居れなかったので、テツさんのところからこっそり離れて、長いプラットフォームをさまよい歩いたのである。列車の下から吐き出されるスチイムが冷たい湯気となって、白々と私の足もとをまわっていた。

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晩年

1936年6月25日に砂子屋書房から刊行された太宰治の記念すべき第一著作集です。第一回芥川龍之介賞候補作となった「逆行」を含む15の短編が収録されています。後の著作集に再録されている作品も少くありません。「私はこの短編集一冊のために、十箇年を棒に振った」という太宰。書きまくった「原稿用紙五万枚。そうして残ったのは、辛うじてこれだけである」とは本人の弁。1941年、一部を手直しして、同書房から改版刊行されました。1947年には新潮文庫に登場、その後、出版社各社から刊行され現在に至っています。ITmedia 名作文庫では、巻頭に解説「俗出発点にあったバリエーションを愉しむ」(北条一浩)を収録し、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍をお届けします。(近日刊行予定)