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葉(1) (1/3)

えらばれてあることの
恍惚こうこつと不安と
二つわれにあり

 ヴェルレエヌ

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。


 ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。


 私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもって迎えた。


 その日その日を引きずられて暮らしているだけであった。下宿屋で、たった独りして酒を飲み、独りで酔い、そうしてこそこそ蒲団ふとんを延べて寝る夜はことにつらかった。夢をさえ見なかった。疲れ切っていた。何をするにも物憂かった。「み取り便所は如何いかに改善すべきか?」という書物を買ってきて本気に研究したこともあった。彼はその当時、従来の人糞じんぷんの処置には可成かなりまいっていた。

 新宿の歩道の上で、こぶしほどの石塊いしころがのろのろって歩いているのを見たのだ。石が這って歩いているな。ただそう思っていた。しかし、その石塊いしころは彼のまえを歩いている薄汚い子供が、糸で結んで引きっているのだということが直ぐにわかった。

 子供に欺かれたのが淋しいのではない。そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄やけが淋しかったのだ。


 そんなら自分は、一生涯こんな憂鬱と戦い、そうして死んで行くということに成るんだな、と思えばおのが身がいじらしくもあった。青い稲田が一時にぽっとかすんだ。泣いたのだ。彼は狼狽うろたえだした。こんな安価な殉情的な事柄になみだを流したのが少し恥ずかしかったのだ。

 電車から降りるとき兄は笑うた。

莫迦ばかにしょげてるな。おい、元気を出せよ」

 そうして竜の小さな肩を扇子でポンと叩いた。夕闇のなかでその扇子が恐ろしいほど白っぽかった。竜は頬のあからむほど嬉しくなった。兄に肩をたたいて貰ったのが有り難かったのだ。いつもせめて、これぐらいにでも打ち解けてれるといいが、と果敢はかなくも願うのだった。

 訪ねる人は不在であった。


 兄はこう言った。「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」私は言い憎そうに、考え考えしながら答えた。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」

 また兄は、自殺をいい気なものとして嫌った。けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、兄のこの言葉を意外に感じた。


 白状したまえ。え? 誰の真似なの?


 みずいたりてきょる。

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晩年

1936年6月25日に砂子屋書房から刊行された太宰治の記念すべき第一著作集です。第一回芥川龍之介賞候補作となった「逆行」を含む15の短編が収録されています。後の著作集に再録されている作品も少くありません。「私はこの短編集一冊のために、十箇年を棒に振った」という太宰。書きまくった「原稿用紙五万枚。そうして残ったのは、辛うじてこれだけである」とは本人の弁。1941年、一部を手直しして、同書房から改版刊行されました。1947年には新潮文庫に登場、その後、出版社各社から刊行され現在に至っています。ITmedia 名作文庫では、巻頭に解説「俗出発点にあったバリエーションを愉しむ」(北条一浩)を収録し、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り読みやすくした縦書版電子書籍をお届けします。(近日刊行予定)