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或る女(5) (1/8)

 郵船会社の永田は夕方でなければ会社から退けまいというので、葉子は宿屋に西洋物店のものを呼んで、必要な買い物をすることになった。古藤はそんならそこらをほッつき歩いて来ると言って、例の麦わら帽子を帽子掛けから取って立ち上がった。葉子は思い出したように肩越しに振り返って、

「あなた先刻さっきパラソルは骨が五本のがいいとおっしゃってね」

 と言った。古藤は冷淡な調子で、

「そういったようでしたね」

 と答えながら、何かほかのことでも考えているらしかった。

「まあそんなにとぼけて......なぜ五本のがお好き?」

「僕が好きと言うんじゃないけれども、あなたは何でも人と違ったものが好きなんだと思ったんですよ」

「どこまでも人をおからかいなさる......ひどいこと......行っていらっしゃいまし」

 と情を迎えるように言って向き直ってしまった。古藤が縁側に出るとまた突然呼びとめた。障子にはっきり立ち姿をうつしたまま、

「何です」

 と言って古藤は立ち戻る様子がなかった。葉子は悪戯者......らしい笑いを口のあたりに浮かべていた。

「あなたは木村と学校が同じでいらしったのね」

「そうですよ、級は木村の......木村君の方が二つも上でしたがね」

「あなたはあの人をどうお思いになって」

 まるで少女のような無邪気な調子だった。古藤は微笑んだらしい語気で、

 そんなことはもうあなたの方がくわしいはずじゃありませんか......心のいい活動家ですよ」

「あなたは?」

 葉子はぽんと高飛車に出た。そしてにやりとしながらがっくりと顔を上向きにはねて、床の間の一蝶いっちょうのひどい偽物まがいものを見やっていた。古藤が咄嗟とっさの返事に窮して、少しむっとした様子で答え渋っているのを見て取ると、葉子は今度は声の調子を落として、いかにも頼りないという風に、

「日盛りは暑いからどこぞでお休みなさいましね。......なるたけ早く帰って来て下さいまし。もしかして、病気でも悪くなると、こんなところで心細うござんすから......よくって」

 古藤は何か平凡な返事をして、縁板を踏みならしながら出て行ってしまった。

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或る女

「武蔵野」で有名な自然主義作家、国木田独歩の最初の妻である佐々城信子をモデルとしたフィクションです。アメリカにいる再婚相手に会うため、太平洋航路の客船に乗った早月葉子。船上で知り合った客船事務長の倉地三吉と恋に落ち、再婚は取り止めて日本に帰国してしまいます。そして……。封建制度に反発し自我を押し通して生きようとした女性の波瀾万丈な物語です。1911年から1913年まで「白樺」に連載された「或る女のグリンプス」を元に、後半部分を書下ろして1919年、叢文閣から「有島武郎著作集」の前後編として刊行されました。ITmedia 名作文庫では、叢文閣版を底本とした各社文庫を参照するとともに、2010年度常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。巻末付録に正宗白鳥による批評を収録しています。